◆掲載開始 2007/3/7
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◆現場日記◆【2015/4/13】更新番付【い】

◆二代目の現場日記は、自己紹介文の下に記載しております。◆

 大工になって早くも13年経ちました。自分が職人として今、信念を持ち現場をこなせているのは 厳しく接してくれた親方(父親)、そして、現場で接してきた 『お客さん』がたの支えがあるからです。
 13年前の自分から見た親方(父親)とは、経営者と言うより昔ながらの職人で、「仕事は盗め!、見て覚えろ!」、そう言う親方でした。・・・今でも変わらず仕事に関しては頑固者で現場命と言った職人気質な所は変わってない親方なんです(^^;
 その親方の下で修行を始めた最初の2年間は、作業場では刻みだけで、現場に出てからは雑用ばかり。親方には散々怒鳴られていました(^^;)
 自分と同い年の友達で大工の道に進んだものが何人かいたのですが、見習で入ったその年に親方から墨付けを教わったり、現場に出ても雑用ではなく親方に手取り足取り教えてもらいながら修行をしていました
 
 修行に入って3年目を迎えようとするころでした。雑用ばかりしている事に嫌気がさし大工を辞めようと思っていた時、お客さんが小僧の自分に、家に対する熱意や、思いを語ってくれてました。その時、「家を建てる事は、一生のうちの大きなイベントの一つなのだと、その願いを叶えるのは自分たち大工や、建築士なのだ」と思いました。        
 その日から、正念を入れ替え親方に怒鳴られながらも親方や、職人さん達の仕事を盗み(見て覚える)ながら、仕事を覚えていきました。
 年季が明けた後も、大工として日々精進する日を続け、親方同様、日中現場で仕事をしながら、二級建築士の資格を取得し図面上でもお客さんの願いを取り入れることができる様になりました。 
   そして、今では、図面の段階で願いを聞き入れ、現場でその願いを形にすることができるようになりました。年季中、親方は厳しかったが、その内に秘めた愛情、そして何より現場を通して、温かく見守ってくれているお客様方に感謝しております。これからもこの気持ちを忘れることなく、日々精進して行きますので、これからも古谷野建築を、宜しくお願いいたします。
 親方から引継ぐ信念は、『親から子へ、子から孫へ、引継ぐことのできる家創り』です。 
 2007/ 3/ 7  二代目 古谷野 勝次
全自動プレカットによる刻みを避ける理由◆は『家へのこだわり』のページに移しました。 
明確に伝える為に写真も掲載しております。 

◆二代目の現場日記◆
内容は【現在の現場状況】【生活・暮らしのQ&A】【イベント情報】となっております!  
良かったらご覧下さい。(^o^)/ 
 ※現場日記内にて、施主様に親しみと敬意を込めて、旦那様又は旦那さんと記載しています。

【未来の子供たちのために繋ぐ想い】

  時代が移りゆく中で現代の日本人の心の中から忘れられてしまいそうな文化が二つあります。
農耕民族の日本人が品種改良をしながらた培った日本の『米』。四季がある日本の住環境に適し、光と影の中に美しさがある『日本家屋』 自国の培ってきた素晴らしい文化に目を向けるのではなく、海外の文化ばかりに目を向けてしまっている現代の日本人
なぜに、現代の日本人が自分の国の自慢できる美徳や文化を放そうとしているのか・・・
2011年3月11日に発生した東日本大震災以降、茨城県内の、残せる、残したい歴史的価値の高い建物の多くが解体処分されてしましました。
その多くが、地場の材を使用し意匠、構造(木組み)どちらも素晴らしいものが多くあり、手を入れれば修復可能であったにも関わらず・・・根本修復できる技能者不足の現実と歴史的建物(古い建物)は危険といった誤った解釈から。

 『 継 承 』上棟明治16年 家・家族の歴史未来へ
  【本建物修復への至り】
H家上棟:明治16年(西暦1883年)
H家8代当主が当時10~15年の歳月を掛け、構造材は地山より切り出し当家の目の前の湖畔にて原木を水中乾燥し、製材された躯体は歳月を重ねた建物のなかでも大変素晴らしいものでした。
H家130年の歴史のなかで、関東大震災、東日本大震災と二度に渡る震災にも耐え家族を護ったこの家、現在の当主(13代)も先祖が守り、引継いだこの建物を、意匠は崩さず現代の生活スタイルに合わせた間取りへ変え継承したく上棟時の姿まで戻し(柱残し他全解体)全面修復工事を選びました。
躯体補強を行い(基礎から)耐震性能を現行法まで向上。外部建具類も全てアルミサッシを入れ断熱等の性能を向上させながらも意匠を保持させるため戸袋は木製の制作戸袋とし、外壁も簓子下見板張り+漆喰仕上とし、意匠は以前にまして竣工当時の面影を反映しました。
《残したいものは、H家先祖より引継がれし想い、今を生きる家族、これからの未来への継承。》
 
  【写真修復後 手前:リビング 奥:ダイニング】
本建物大改修は今回の(平成)修復再生と昭和期(昭和30年代初頭)の大改修の2回(軽微な改修・修繕は他数回あり)。
昭和期の大改修は、曲がり屋で茅葺き仕上の屋根から、直型に間取りを変更し、屋根も土葺きへと変更されました。
その際に、家族用の土間玄関ホールであったこの部屋。
昭和45年に、この土間は床が張り上げられ土間から、玄関ホールへと変わり仕上材等もほぼ新建材で仕上げられていました。
その際に、表しの手斧殴り仕上の松丸太梁組は天井裏へと隠れてしまったものを今回の修復工事に再度表しとし、玄関ホールであったこのへ空間を家族のつどうリビングへと用途を変更。
(壁面=土壁下地+藁入り珪藻土仕上 天井:藁入り珪藻土仕上)
  【写真修復後:廊下】
廊下からリビングに入るドアも、框は組み直ししたものの、中の無垢一枚板は、修復再生前より使用されていた板戸を、同じ位置へ再度配置。

廊下の天井(組子)は昭和期の大改修の際に曲がり屋であった本建物を今の形状(直型)に修復した為に躯体接合部分細工に伴い、既存竿縁天井を解体し写真の天井が組まれました。

昭和期の改修工事から半世紀以上が経ち、天井板の多くに割れが入っていたり、天井全体も垂れ下がっていたこの天井を、今回の工事で新たに(違う天井へ)組替も思案されたものの、施主様の了承をへて修復再生し残しました。
 
  【写真修復後:玄関】
客人を迎える為だけに造られていた『式台玄関』今回の修復まで昭和の後半からほとんど使用されずに、物干場になっていた。
式台玄関は、玄関側面が壁で覆われただけで、式台から上り引戸を開けて建物内部に入るようになっていたものの実用的ではなかった。

雨天時には、履き物は濡れてしまう。式台伝いに雨が柱脚部まで浸入し、躯体をいじめるなど。
修復再生後は、式台玄関(客人用)を一時解体、再度県産材にて組み直し(※外部丸桁は既存の物を解体後再度墨を打ち直し再利用)
  数少なくなる日本の伝統家屋【伝統構法】の技術の高さ、住まう人を環境面から大事に包んでくれる日本の住まい。それは人にも環境にも優しい住まい。
国が補助事業を設け、始めた長期優良住宅。本当の意味での長期優良住宅は歴史が証明しています。古より大工職人たちが培ってきた100年以上耐えうる住まいの造り方、【伝統構法】 解体したものは二度ともとへはもどすことができないのです。そのことをこの家は教えています。解体し、産業廃棄物にしてしまう前にもう一度見つめ直してください、今では少数になってしまったものの一世紀を超えてなおも耐えうる伝統の技を継承している現代の名工達と、来るものを温かく包み引継がれた日本の建築美を。

 ※特記※
私共古谷野建築は、どこにでもいる『職人の親子』です!
いつでも気軽にお電話頂ければ現場案内いたします。♪
 

◆次回番付◆
    
  【ろ】は、現在の現場状況を予定してます

     
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